石頭を水に帰す クレニオワークの個人セッション
- 1セッション ¥10,000 (60分) / ¥6,000 (30分)
クレニオワークは私達に備わる自然治癒力が、日常の生命維持の働き、新陳代謝と同じものであることを前提として、日常の生活を過ごすのと同じほど当たり前の出来事としての治癒をサポートするワークです。
病は私達の生理的な働きの一部です。受胎した瞬間から始まる胚子の発達、胎児の成長の働き、そして、生まれてからも続く、日々の食物の消化、同化、異化、排泄、を通じた新陳代謝による成長と発達、又は生きている間中行われているホメオスタシス(恒常性の維持)、それらの働きは総て共通の、命の働きなのです。
ホメオスタシスとして、日々の身体全体の調和的働きを調節している面と、調和を崩して日々の調節では間に合わなくなった状態( 病気)からの回復作業と、どちらも同じ働きの一面と言えるでしょう。つまり、病気はホメオスタシスの一面なのです。
病気になる前から、又は罹った後でも、身体は常に全体の調和的バランスに向かっています。しかしながら、現代社会に洗脳された私達は、病気が自然に治って当然とは思えなくなっています。
命が日々、自己を継続している神秘を、当たり前の事として気にも止めずにいながら、病気が治る事は特別で、特別な手段(医師、薬品、その他) に頼らない限り治癒しないと想いがちです。
私達がこうして生きている奇跡に比べたら、病気が癒える事など、日々の生きる働きの、ほんの一面に過ぎない事である筈なのに。自然に治癒されて然るべき症状が、そうならないのは、何かが継続的に調和を妨げ続けているに違いありません。
様々な原因から来る、肉体に害をもたらす緊張、感情に害をもたらす緊張、思考に害をもたらす緊張、言い換えると、身体の偏った思い込み、感情の偏った思い込み、思考の偏った思い込み、そしてそれらの不調和を解決する柔軟性を欠いているのです。
その様な状態と言うのは、自分の中で継続的に、バランスを取り戻す事への抵抗を続けている筈です。
病気の外因(ウイルス、バクテリア、薬物、その他毒性のもの)と考えられる対象に、外的な対処を施す事は助けになるけれども、自然治癒力が調和的に為すべき働きを発揮できるための手助けとは言い難い物が多いです。
外的障害を受けて、回復が遅かったり、二次的な障害を引き起こしたりする事も私達の生き方そのものが、身体の回復の仕方に沿わない事をしているのです。
クニオワークは身体の中で既に働いている、調和的バランスに向かおうとする方向に沿って、肉体、感情、思考のにある命の働きを阻害する要因が、解消され、健全なる調和が、現れるべくして現れる様にサポートします。
サポートする施術者は、100%サポートに徹するほど、効果があります。この技術は術者の能力で治癒を起こすと言う類のものではありません。何故なら病んでいる本人の無意識、潜在意識以上に術者がその人の事を知る術が無いからです。
どう治っていくのか、何が必要なのかを知るのは施術者ではなく、クライアント本人なのです。そして治癒の力は、日常の生命維持する力があれば十分な筈なのです。しかし、その力が発揮されるのを阻害したり、誤った生命力の使い方をしていたり、その為のエネルギー漏れがあったり、今の状態を維持する為にエネルギーの浪費を余儀なくされ、余剰が無かったりで、なかなか治癒に至らない状態に陥っています。
術者は出来る限りクライアントの中で既に働いている治癒活動に沿って、それにシンクロし、その働きの場を広げる事で治癒活動を促進するのです。それは治療者の、技術の高さを誇示しようとする様な自己顕示欲の無い所でこそ、より純粋に奇跡を起こします。
私達があまりに当たり前で、取るに足ら無い事のように看做している、日常の生命維持と同じ類いの奇跡を。
或いは治癒は日常の生活と同じほど当たり前の現象として捉えられるかもしれません。
多くの人は直ちに治癒されたいのです。待て無いのです。しかし、身体の代謝は1日に1日分しか行われません。1日に100日分の代謝をしたら、寿命は1/100になってしまうでしょう。
治癒する邪魔者を除けは、日々の生活の中で、生活のリズムに沿って自然に癒されるのです。中には日々の代謝のペースを度外視した、その場で直ちに癒されると言う形の奇跡もある事でしょう。ここではその類の奇跡は神の思し召しでもない限り、期待できません。
しかし、生きていく上では、相変わらず日々の奇跡が起こり続けなくてはならないのです。