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クレニオワーク基礎講座 12月スタート

クレニオワーク基礎講座

ちらほらと要望があるので、久し振りにクレニオワーク基礎講座を行う事になりました。
ボディーワークとして、クレニオを提案するもので、バイオダイナミクス(オステオパシー)ではありませんのでご注意ください。バイオダイナミクスに関しては、IOAJ ( https://ioaj.org/ )へお問い合わせください。

このワークショップでは、基本的な解剖生理学と胎生学を基に体に既に起きているバランスを回復、維持しようとする働きに耳を澄ます練習をします。

からだの形に合わせる、位置に合わせる、動きに合わせる、そして力に合わせるという事を通じて形や位置は動きであり、動きは力であり、力は形を成す、という現象の領域を探ります。

そして、それを入り口に幸田がアンフェルトナンセンスと呼ぶ( フェルトセンスに対し幸田がコンティニュアムで探求の題材にしている、自分の感覚能力の範囲内に物事を縛らず、感覚を手放した状態で、感覚されず、意味付けできない事柄 )未知の潜象の領域にオープンでいる事を試みます。

クロニックで瞑想を教えていただいているニーラジャさんが伝える自発的瞑想の状態かもしれません。
そこには自分が自分として作り上げたアイデンティティに縛られない、自分であって自分でない、エゴであってエゴイスティックでない、全体の一部である存在が座っています。コースインミラクルズのゲイリーさんが言っている、私達が一度たりとも離れていないホームにいると言う感じかも知れません。エゴのアイデンティティがありません。身体がでかくなった赤ん坊の様なものです。

このコースでは治療効果があるかどうかを競っていません。あくまでもボディーワークとして、施術を受ける人にとって赤ちゃんに触れられるのと同じヒーリング効果があればこの上ありません。

治療家の方が治療効果を上げるための技術を求めておられる場合はこのコースをお勧めしません。

術者がクライアントの領域で自分の裁量で判断し、その判断に基づいて何らかの修復操作を行う事をできるだけ減らしていきたいと思っています。

全体の一部として、、、術者は海の一部として一つの波となって現われ、クライアントも同じ海の一部として一つの波となって現われている。クライアントの波に合わせることで、二つの波が並走しつつ、一つの海である事の未知に溶け込もうと言うのが目標です。

“Be still and know”は Dr.Sutherland が聖書を引用してクレニオオステオパシーを語るのに使った言葉ですが、“静かに静止して静寂の中にいれば知るべきことは向こうから与えられる”と言うように僕は解釈していました。しかし、僕のその解釈では、知ると言う存在が相変わらずこちら側、エゴサイドにいるのです。

恐らくそうではないんです。静かになった時、止まった時、そして自分のアイデンティティが反転した時、そこには知りたがっていた自分はいません。知っている者は自分(エゴ)ではありません。
エゴが自分で知ろうとしている限りは知ることのできない、波がアイデンティティを捨てて海の一部として溶け込まない限りは知り得ない、未知を知る者は、エゴの自分ではありえないのです。

感覚し、情緒し、解釈する存在には知り得ない未知を知るのは、知ると言う行為を持たない全知なのです。実にパラドキシカルですが、それがパラドックスにならない意識領域に属するものなのでしょう。

”Be still and know that I am God”、の that I am God を抜いては解らない。しかもこの I am Godの”I”は”God”である限りエゴの”I”ではあり得ないのです。実際は知ると言う事でもなく、エゴの私が言葉にすれば、”知る”と言うしか言い現わし得ない事柄なのだと思います。
知るって、”誰が何を”って話で、唯一無二の全知には無用の事柄に違いありません。何かを知るのではなく、全部知れているため知ると言う言葉さえ当てはまらないのです。

私達が何かを理解しようとしている時は常に、こちら側、エゴ側でしか物が見れないので、エゴが知り得ないものを、エゴの知り得る範囲に閉じ込めた表現しかできません。私達は知りたがりのせいで、自分の手の内につかみ入れて、手の外にある全てを逃しているのです。普通の日常を送るには必要な事ですが、私達は自分自身を日常に限定し過ぎて、そうで無い処へは目が向かなくなっています。エゴの目に映らない領域は存在しない事になっています。

未知の世界は自分の感覚、感情、思考の枠組みを放棄したアンフェルトナンセンスです。既知、フェルトセンスはその微々たる一部です。このワークショップでは、見えない目で、その目に映らない世界に向けて目を開いていようとする試みです。

と、また大言壮語ですが、これをどうすれば良いか、僕が知っていて皆さんにお教えすると言う事ではありません。エゴには理解不可能な事柄ですからお手上げです。そこでは何かを知っている、何かが出来ると言う主体がいる時点で、少しの自己満足と引き換えに井の中の蛙となってしまいます。井戸から出ても蛙には変わりありませんが、住む世界が違います。僕は井戸の外へ引っ越せないかと考えているのです。

個人的には同様のテーマを、いろんな角度から探ろうとしているので、今回はクレニオと言う切り口を使ってみようと言う試みです。そこでは僕が探検隊の隊長で未知を目指して皆で迷子になりましょうと言う企画です。盲が盲を導く様なものです。エゴを超越した領域に入ろうと言う探求ではあるものの、それを達成できてなんぼの努力をするのではありません。”私はこんなにも深い未知の領域に参入できるぜ” などと言う事になっては、上手い具合にエゴの罠に嵌っているのです。

クライアントをその旅に巻き込むことになるので、悪影響を及ぼさない最低限のマナー(並走者の走路を侵略しない)は必須です。こちらが合わせる事から始め、こちらの意図、既成概念、既成感情、既成効果を棄て去って、感じない、分からないと言うエゴのあがきを手放して、平和と静寂の中に、そこで何も知らされる事がなくても、平気でただそこにいる事をしたいのです。そうする事が下手にエゴが自慢の手技を施すよりもクライアントの利益になる事が多いみたいです。

たった今、直ちに治った治らなかったを尺度にしている人にとっては無意味のワークと言えます。

エゴが体験し解釈したことは、できるだけそのまま、それ以上の解釈や言葉をつけずに放置して置ければと思います。

神様側から言って”Be still and know”を、エゴ側からは”Be stil and not know” として、安らかでいるのです。

結果を出してなんぼの世界からおさらばします。ここで結果を出すのはエゴではなく、未知なんです。未知を知ろうとせず、未知を未知のままにして既知の膜(枠組み)が溶け去るのを静かに平和に傍観できればなぁと思います。つまりは、こちらからお教えできる事柄は殆ど何もないのに高い金額をせしめようと言う詐欺まがいのワークショプと言う事にもなります。

”古池や蛙飛び込む水の音”、”閑さや岩にしみ入る蝉の声”的な事を僕が言ってそこに解釈を加えずに、ただそこにあるままを味わうと言う感じです。それをクレニオワークという体裁で行うのです。クライアントを無視するのではありません。クライアントのあるがままに合わせて、術者自身を無視するのです。術者がそこにいる事はクライアントの変化のために非常に重要なのですが、術者のエゴがそこにいない事がとても助けになるのです。

*参加にあたっては、プロでなくとも多少身体の扱いに慣れていることが望ましいです。

日程:2019年12月14日、15日

             2020年1月18日、19日

                            2月15日、16日

                             4月11日、12日

       全8日間 9:30~17:00

場所:京都府京田辺市

参加費:¥114,400(税込み) 又は各回支払い¥33,000(税込み)*但し全日程参加が条件、単発参加なし。

定員:6名(12月6日までに定員に達しない場合は2020年1月からに延期)

お申込:https://form1ssl.fc2.com/form/?id=2a4792eedb92e697

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